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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和60年(行コ)3号 判決

控訴人

荒武重信

(ほか七名)

右控訴人八名訴訟代理人弁護士

立木豊地

右同

川副正敏

右同

古賀康紀

右同

森川金寿

右同

佐伯静治

右同

戸田謙

右同

芦田浩志

右同

重松蕃

右同

柳沼八郎

右同

尾山宏

右同

新井章

右同

高橋清一

右同

北野昭式

右同

雪入益見

右同

藤本正

右同

深田和之

右同

谷川宮太郎

被控訴人

鹿児島県教育委員会

右代表者委員長

今村節子

右争訟事務受任者教育長

濱里忠宜

右訴訟代理人弁護士

松村仲之助

右同

和田久

右同

俵正市

右同

池田〓

右同

伴喬之輔

右指定代理人

樋園正仁

右同

瀬戸口正昭

右同

笠利俊彦

右同

前原浩一

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一申立

一  控訴人ら

1  原判決を取消す。

2  被控訴人が昭和五四年四月一日付でなした、控訴人瀬戸口学を除く控訴人らに対する川内市立川内南中学校教諭を免じ、原判決添付別表(略)1転任校欄記載の各該当中学校教諭に任命する旨の各転任処分、及び、控訴人瀬戸口学に対する川内市立川内南中学校事務職員を免じ、右同表転任校欄記載の該当小学校事務職員に任命する旨の転任処分をそれぞれ取消す。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文と同旨

第二主張

当事者双方の主張は、次に付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人らの主張)

一  被控訴人のなした本件転任処分の処分理由たる事由は多岐にわたるが、単純化すれば、いわゆる川内南事件により中学校経営が正常に行い得ない状態に陥っており、さらにそのことから教職員と父兄、地域住民との間の対立抗争にまで発展したため、その解消をはかる措置としてなされたやむを得ないものである、というに帰する。しかし川内南中における控訴人と校長との対立抗争として取り上げられている個々の事由は、概ね、〈1〉分会と校長の交渉、〈2〉鹿教組本部及び支部の指示による組合活動、〈3〉職員会議での個々人の発言、〈4〉休憩、休息等の時間中における個人の行動、の四つに分類できる。そしてこれらの四点の事実はそれぞれ法的評価を異にし、本件転任処分の理由としては、控訴人毎に個別的に検討されるべきで、十把一からげに一括して論ずることができないことは後述のとおりであるが、それとともに右の各行為は、文部省による教育基本法を空洞化して上命下服の学校管理体制の強化を図るという歴史的流れの中で、鹿児島県においては文部省から派遣された県教育長による権力的な教育行政のもとに、鹿児島県下の各学校における管理体制強化と教育の権力的統制の嵐が吹き荒れ、そしてこれに対し鹿教組が組織をあげて抵抗していたものであり、本件川内南中事件はかかる最中に発生したものである。したがって、本件の真相を理解するには、これらの背景の中に正しく位置づけて検討しなければならないものであって、かかる見地から本件をみると、以下のとおり、川内南中事件は、当時の教育長であった国分教育長が、その権力的教育行政を推進し、とりわけ昭和五三年度末人事において、その総仕上げとして、いわゆる「標準人事」を強行発令するために、その障害となる鹿教組の運動を弱体化し、かつ県議会における追求を乗り切るための方策として「教育振興会」なる日教組、鹿教組を敵視する一部の地域ボスと結託しあるいはこれを煽動し利用して作り上げられた事件であることが明らかとなる。

その経緯は要約すると次のとおりである。

1 山中、国分教育長による権力的教育行政の実態

(一) 昭和四八年七月に山中昌裕教育長が、昭和五一年に国分正明教育長が、いずれも文部省から派遣されて就任したが、両名はその在任中、文部省の教育行政の中央集権化の意を体して学校管理体制の強化と教育の権力的統制を一貫して追求した。

山中教育長は就任早々、地教委、校長に対し次々と「通知」「通達」を発し、従来それぞれの教育現場で慣行によって円滑になされてきた学校運営に摩擦と混乱を生ぜしめた。それは教育に対する不当な支配であり、地教委、校長に付与された固有の権限を否定するものであったが、さらに山中教育長が、教育長を頂点とするピラミッド状の支配体制を築き上げるために実施した制度が管理職試験の実施と主任制度の導入であった。

右山中教育行政の浸透に従い、校長らは自主性、主体性を失い、従来の慣行や職員会議の意向を無視し、さらには行政権力に迎合し率先して学校管理体制の強化に奔走する校長さえ現れた(川内南中の島元校長はその典型的人物の一人である。)。そして教職員らが職員会議などで真摯に教育論議を交わそうとしても校長はこれに応ぜず、県教委の方針、見解をおおむ返しに繰り返し、その一方で高圧的に職務命令を発するという事態が多くみられるようになった。

また山中教育長は、就任直後から人事権を県教委に集中させ、人事を通じて教職員の支配を確立すべく企て、そのためにとられた措置がいわゆる人事確認書否認通知と人事異動標準の策定であった。後者は鹿教組の反撃によって、「めやす」にすぎないという確認がなされたが、これにより同教育長が当初の狙いを捨て去ったものではなく、それは次の国分教育長に引き継がれていく。

(二) 山中教育長による右の強引な権力的教育行政は、教職員の怒りと大多数の県民の厳しい批判を受け(その一つにリジンパン事件がある)、同教育長は昭和五一年五月についに更迭され、替って国分教育長が就任した。

しかし同教育長は、山中教育長の築いた権力構造をそのまま引き継ぎ、前にも増して学校管理体制の強化と教育の権力的統制を追求し、校長、教頭に対し、教職員の日常の言動、とりわけ組合活動、職場交渉における組合員の言動について逐一記録し、これを地教委、県教委に報告するように指示し、県教委に抵抗する教職員に対しては直ちに懲戒処分をもって臨むという恐怖体制を敷いた。

そしてこのような学校管理体制の強化を媒介として、教職員の教育活動、研修活動に露骨に介入、統制してこれを支配し、その総仕上げとして実施されたのが、昭和五三年度末に行われたいわゆる「標準人事」であった。

2 山中、国分教育行政に対する鹿教組の取り組み

(一) 前述の両教育長の権力的教育行政は、教育現場を著しく混乱させ、荒廃させるもので、人事に関しては情実、金品授受という腐敗現象まで表面化し、そのもたらした害悪は測り知れないものがあった。

そこで鹿教組は、民主教育と教職員の権利を守るため、その組織の総力をあげて抵抗した。例えば昭和四八年二月の人事確認書否認通知に対する交渉、昭和五〇年七月の管理職試験の撤回と研修に関する校長の承認権の確認を求める交渉、昭和五一年一、二月の主任制導入の撤回を求める交渉、同年一二月の主任手当支給の撤回を求める交渉等がそうである。

これに対し、両教育長は表面的にはその撤回ないし是正に応じても、当初の意図は捨てず、校長らを秘密裡に指導してその実現を図ろうとした。したがってその闘いは両教育長が実現しようとする制度が実施される学校現場において、日常的に取り組んでいかねばならなかった(被控訴人が本件転任処分の理由としてあげる各行為は、控訴人らの昭和五二、五三年度における組合活動であるが、この時期は右山中、国分教育行政に対する鹿教組の取り組みの最も高揚した時期である。)。

(二) このような中で国分教育長は、前述のとおり教職員に対する支配、管理の総仕上げとして昭和五三年度末人事において「異動標準」の画一的適用による大規模な広域人事の実施を企てたが、広域人事こそ、過去における全国的教職員組合に対する組織攻撃の常套手段であった。

そのため同教育長は、鹿教組が昭和五三年四月に申し入れた五三年度末人事についての総括交渉に対しても言を左右にして応じないまま、その一方で請求原因記載の人事機密文書提出の指示に及んだ。

このように人事異動のあり方についての基本問題に関する交渉要求を拒みつつ、着々と「標準人事」の準備を進める国分教育長に対し、鹿教組の取り組んだ反対運動はきわめて高揚し、とりわけ同年九月から取り組まれた総告発闘争(その一環として同年一〇月一九日、鹿教組と鹿児島県出身の社会党議員との打ち合せに基づき参議院文教委員会において本県における権力的教育行政とこれによる教育荒廃の実情が取り上げられた。)は大きな打撃を与えた。

さらに各学校現場から鹿教組本部への報告により幾多の不祥事実が明るみに出され(例えば、教頭から県教育長へのハブの標本贈呈や、管理職試験問題の事前漏洩等、管理職による破廉恥行為、窃盗、車のトランクの中に障害児を入れ三五キロも運転をし続けた行為等。)、鹿教組はそれらの事実に対する教育長の責任を一二月県議会において追求する準備を整えていた。

(三) かくて国分教育長は、右の事実が明るみになるに従い、県民からも厳しい非難を浴びせられ、そのまま一二月県議会で右の追求を受ければ昭和五三年度末に計画していた「標準人事」を断念せざるを得なくなるばかりか、それまで推進してきた権力的教育行政そのものが崩壊するおそれが生じ、さしあたり目前の一二月県議会を乗り切るための方策を必要としていた。

川内南中事件は、まさにこのような時期に発生した。

3 教育振興会の実態

教育振興会は、会則上は昭和五三年一一月二三日に結成され、一応「会則」が定められ、その会則には会員に関する規定、会長以下の役員、理事会等機関に関する規定が設けられ、一見するとあたかも住民運動組織らしい装いがなされている。

しかしその実体は、戦前の国家教育そのものの教育観を有し、鹿教組およびこれに結集する組合員に対し強い敵意と憎悪を抱く一部のいわゆる地域ボス一四、五名の私的な会合に過ぎず、団体としての実体は何一つ存在していないもので、振興会の活動は、いかなる意味においても地域住民とは無関係である。

そして振興会は三日間で四五〇〇名の署名を集めたとしているが、右署名活動は、政治的活動に関与することを禁止された地区公民館という行政組織を利用してなされた違法なものであるばかりか、公民館―各部落会長という行政組織のタテのルートを利用して得られた署名は、それが本人の真意に基づくものか重大な疑問があり、そのような署名活動によっては、住民の意思を推測することは到底できない。

4 本件転任処分の真の目的

(一) 右のように教育振興会が昭和五三年一一月という時期に結成され、直ちに控訴人らに対する追放運動を展開したが、これは決して偶然ではない。前述のとおり、その時期は、国分教育長が鹿教組の反撃に逢い、県民からも厳しい非難を浴びて窮地に立たされ、当面する一二月県議会を乗り切るための方策が必要な時期であった。このため国分教育長が、教育振興会を称する地域ボスや自民党県議団と結託したことは次の事実によって明らかである。

教育振興会は結成直後から様々な事実をマスコミに流しているが、それらの事実は島元校長または県教委による情報提供がなければ彼らには知り得ないものである。とりわけ「イス振り上げ事件」の如くありもしない事実を流布しているが、それは彼らが島元校長または県教委から聞かされたからにほかならない。

教育振興会の結成は前記のとおり会則上は一一月二三日夜であるが、翌二四日には県議会に陳情書が出されており、偶然にしてはあまりに手際がよすぎる。

また国分教育長は、鹿教組からの交渉申し入れを拒否し、また川内高校の校長の更迭を求めた父兄からの面会申し入れについて校長人事に関して第三者と面談することはできないとしてこれを拒否したことがあるにもかかわらず、教育振興会とは二度にわたり面談に応じている。

さらに県教委、市教委は振興会がチラシに記載した内容について島元校長からの報告と生徒会役員選出問題に関して担当教師からの事情聴取以外にほとんど事実調査を行っていないし、現場教師と父兄との話合い等の解決の努力をまったくしていない。

(二) 以上のことから川内南中事件は、前述のとおり、窮地に立っていた国分教育長が、鹿教組の運動があたかも暴力団まがいのものであるかのごとき印象を与え鹿教組による抵抗を弱体化せんがため、振興会と結託あるいはこれを煽動利用することによって作出したものであることが明らかである。

すなわち同教育長は、一二月に予定されていた県議会において鹿教組の追求や県民の非難をかわすための方策として川内南中事件を対峙させることを企図したが、県議会で取り上げるにはもっともらしい名目と世論の操作が必要であり、教育振興会問題はその格好の手段であった。そのため国分教育長は、実際には一四、五名のものが意図的に騒いでいるに過ぎない教育振興会問題をあたかも地域住民と教職員との対立抗争であるかのごとく取り上げたのである。その結果一二月県議会では、この問題に審議時間が浪費され、国分教育長に対する追求は翌年二月の委員会へと持ち越され、その間に「標準人事」の準備はすべて完了した。

そして国分教育長は、その狙い通りに川内南中事件を露払いとして、昭和五三年度末に権力的教育行政の総仕上げともいうべき標準人事と呼ばれる大規模な広域人事を強行発令したのである。

5 国分教育長は、右の標準人事を達成し、その年の七月に退任し文部省に戻ったが、川内南中事件は、その後も組合活動に熱心な教職員に対する恫喝として常に引合いに出されるようになり、また、県下各地において、職場運動に対する弾圧の手段として同事件と酷似した「教育正常化」策動が展開されるようになった。このような本件以後の状況も、本件の真相を解き明かすための重要な手がかりである。

二  被控訴人主張の本件転任処分の理由事実は、前記のとおり概ね、〈1〉分会と校長の交渉、〈2〉鹿教組本部及び支部の指示による組合活動、〈3〉職員会議での個々人の発言、〈4〉休憩、休息等の時間中における個人の行動、の四つに分類できる。そしてこれらの四点の事実はそれぞれ法的評価を異にし、〈1〉は地公法五五条の交渉権としての法的検討を要し、〈2〉は川内南中の職員の特有の行動でないことを考慮すべきであり、〈3〉〈4〉は個々人と校長との問題として処理さるべきものである。

そして転任処分は個々人を対象としてなされるのであるから、その処分の合理的理由の有無もそれぞれ個別に検討すべきであり、控訴人らに対する転任処分を一括してそれが正当であったか否かを論ずることはできないものである。かりに川内南中において「教職員の構成をそのまま維持するときは学校教育に重大な悪影響を及ぼしかねない事態に立ち至っていた」としても、どのように職員の構成を変更すべきかは別問題であり、右必要性から控訴人ら個々の転任処分を正当化することはできない。被控訴人は前示四種の言動をすべて一括して「行き過ぎた組合活動」と決めつけ、その全てを控訴人ら全員についての各転任処分の理由とするもののようであるが、〈4〉についてはもちろんのこと〈3〉もあくまで当該個人による言動としてしか評価できず、それらを他の控訴人らに対する転任処分の理由とすることは、江戸時代の「五人組制度」となんら選ぶところがない。

ところで前記〈1〉、〈2〉に分類されるものは、「日の丸」掲揚問題を巡る職朝ボイコットと一六ミリ映写機問題を除き、すべて鹿教組及び同川薩支部の指示、指令によって行われ、控訴人らは忠実にそれを実行したに過ぎず、その指示、指令内容を越えた方法、態様で取り組んだことは一度もない。もしこれらの行動が学校教育または学校運営に支障を及ぼすならば、県下各学校で同様の事態が生じたはずであるが、他校では問題とされた事実は一件もない。川内南中だけで控訴人ら全員の転任を必要とするほどの支障が発生したと言うのはまことに不可解である。

また、被控訴人が転任処分の理由として取り上げる校長交渉及び組合活動の大部分は昭和五二年度(四月から七月)のものであり、昭和五三年度のものは、(1)総告発闘争、(2)三角錐闘争、(3)無言、非協力闘争、(4)後期校時表運用交渉、(5)「教育を守る会」のチラシ配布、(6)一六ミリ映写機問題の六点に過ぎないが、五二年度末人事において川内南中で組合活動を理由として転任処分を受けたものは一人もいない。その後右の六つの組合活動が行われただけで控訴人ら全員を転任させなければならなくなったというのも不可解である。

さらに組合運動をはなれたときには、控訴人らと島元校長との関係は、校長と教職員との普通の関係にあり、「両者間の信頼関係は全く損なわれ」ていたものでないことは原審証人長野修の証言や島元校長の報告(〈証拠略〉)の記載からも明らかである。以上要するに前記〈1〉、〈2〉の組合活動の事実に基づき本件各転任処分を正当化することは到底不可能である。

三  転任処分の裁量権の限界について

1 教育公務員について、教育基本法六条二項は、「学校の教員は全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚してその職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期されなければならない。」と定め、一般公務員と比べて身分保障が強く要請されている。これは教員が一般公務員の「全体の奉仕者」性とはおのずから異なる子供の教育を受ける権利の保障をも実現するという現代社会において特別に社会公共性の強い公務に携わるものだからである。したがって教育公務員に対する転任処分権の行使に当たり、その裁量審査においては一般公務員に比し一層厳格に適用されてしかるべきである。さらに大学の教員について教特法五条は「大学の教員は大学管理機関の審査の結果によるのでなければ意に反して転任されない」と規定されており、これも類推されるべきで、特に手続については厳格な条理解釈を施さなくてはならない。

右の教員の身分保障の原理に照らすと、教育公務員に対する配転の裁量権は、(1)教員に対する配転が当該教員の教育活動を過度に阻害する結果となるような場合にはそれは裁量権の範囲を越えて違法となる、(2)当該学校の活動全体が過度に阻害される結果となるような転任処分は、裁量権の範囲を越えて違法となる、(3)配転は、教育基本法一九条二項により、教育条件整備のために行われるものである。したがって教育活動を助長し教育効果を高めることを目的とするものでなければならないから、それ以外の目的で行われる人事、例えば報復人事は、処分権の濫用となり違法である、(4)条理上、本人の意見を聞き、その納得を求める手続が必要と判断される場合に、その手続をふまない不意転は、手続の違法となる、との法的な制限を受ける。

2 これまでの裁判例においても、右の法的制限を基本的に承認し、「教育公務員については、教育基本法六条二項、一〇条二項等の規定により他の一般公務員より強い身分保障が定められ(中略)、任命権者の自由裁量には自ずから道理的限界が存する(中略)、当該教職員に著しく不利益を与え、また、当該教職員個人ないし同教職員が勤務する学校の計画的教育活動を過度に阻害し、あるいは専ら当該教職員の組合活動を抑制する等非教育的目的のためにおこなわれ、しかも事前に教職員の意見希望等を十分に徴しあるいはこれを十分に徴すべき手続を経ることなく樹立された異動計画に基づき転任処分をなすことは右裁量権の限界を逸脱し、裁量権の濫用に該当し転任処分そのものが違法との評価を免れない。」(福岡高等裁判所宮崎支部昭和六一年一一月一七日判決)旨、また、教職員転任処分は「教育行政の一環として教育基本法の精神に基づき、教育目的を達成するために必要な諸条件の整備確立を目的とし、広い視野に立って教職員の構成の適正化、各学校における教育効果の一層の増進を図るべきもの」として、任命権者に一定の裁量権を認めつつも、しかしそれは「一教職員の身分を尊重しつつ、教職員の経歴、前任校及び転任校の人的、地理的、物的あるいは社会的状況、当該教職員の個人的な諸事情をも含めて総合的な判断に立って行使すべきものであって、一定の制約が課せられている」ものと判示している(大阪地方裁判所昭和五四年一〇月三〇日判決)。

3 本件において右のような基準に照らすと、なによりもまず教職員一人一人についての当該転任処分の必要性、合理性が個別具体的に検討されなければならない。

ことに本件のように、前記の背景、経緯のもとに、特定の団体の運動や議会における政治的、党派的立場での決議等、第三者の圧力に応じてなされ、かつ、一つの学校の大半の教職員を一挙に異動させるというきわめて異例の処分については、その前提として右第三者の介入が果して国民としての正当な教育要求であったのかどうかが慎重に検討されなければならず、控訴人らを十把一からげに取り扱うことは許されない。

四  訴えの利益に関する被控訴人の主張に対する認否及び主張

控訴人らが、被控訴人主張のように転任あるいは配置替えになっていることは認める。

被控訴人が引用する最高裁判決は、同一市内における配置替えに関するものであって、「その身分俸給等に異動を生ぜしめるものでないことはもとより、客観的または実際的見地からみても、被上告人らの勤務場所、勤務内容等においてなんらの不利益を伴うものでない」とするものであって、本件の如き川内市内から他の市町村に転任された事案に適用されるものではない。

(被控訴人の主張)

一  訴えの利益について

1 控訴人らは、原判決添付別表1記載の本件各転任校から次のとおり別の学校に転任あるいは配置替えされている。

2 右のとおり控訴人らは、本件転任処分後さらに他の学校に転任あるいは配置替えになっているところ、このような場合について最高裁昭和六一年一〇月二三日第一小法廷判決は、吹田市立第二中学校から同市立青山台中学校への配置替えの取消訴訟の審理中、さらに青山台中学校から同市立片山中学校へ配置替えされた事案において、「本件転任処分は、吹田二中教諭として勤務していた被上告人らを同一市内の他の学校の中学校教諭に補する旨配置替えを命じたものに過ぎず、被上告人らの身分、俸給等に異動を生ぜしめるものでないことはもとより、客観的、また実際的見地からみても、被上告人らの勤務場所、勤務内容等においてなんらの不利益を伴うものでないことは、原判決の判示するとおりであると認められる。したがって、他に特段の事情の認められない本件においては、被上告人らについて本件転任処分の取消しを求める法律上の利益を肯認することはできないものといわなければならない。(中略)なお、被上告人小川については、昭和五五年四月、本件転任処分による転任先の吹田市立青山台中学校から本人の希望により同市立片山中学校に更に転任したものであることが記録上明らかであって、本件転任処分の取消により吹田二中の教諭たる地位を回復するものでないことも明白である。」と判示して訴えを却下している。

本件において控訴人らは、他の市町村への転任処分をうけたものであるので、法律的には前任校の市町村の教職員の免職と、新任校の市町村における教職員としての採用を同時に行うもので、一応身分の変動を伴うことになる。しかしながら、県費負担教職員の給与等の勤務条件は、地教行法四二条により都道府県の条例で定めるものとされ、鹿児島県においては、鹿児島県学校職員の給与に関する条例等によって定められているので、他の市町村立学校に転任になっても、給与、勤務時間等の勤務条件については原則として不利益を受けることはない。また控訴人荒武は、第二の転任により、僻地から川内市の住居に帰ってきたのであるから、同控訴人が第二の転任を希望しなかったとは考えられない。

3 もともと配置替えや転任は、新しい職に任用することを目的とする行為であり、その結果として当然に従前の地位が失われる。したがって、第一の転任後に第二の転任が行なわれたことによって、当然に第一の転任による地位は消滅し、右地位を第一の転任処分の取消により消滅させる必要はなくなることになる。

〈省略〉

更に、第一の転任に引き続き第二、第三の転任が行なわれた場合に、第一の転任を取り消すと、第一の転任前の地位、すなわち当初の学校の教職員たる地位と、第三の転任による転任校の教職員たる地位を併有する結果になる。このような不合理な結果を避けるためには、第一の転任前の地位の回復を認めないか、第三の転任による地位を失わせるかのいずれかを選択するほかはない。そうすると、既に第二、第三の転任という既成事実のうえに、昇給、その他の行為が積み重なっている場合、これらをすべて覆すことは好ましいことではなく、更に他の教職員についても、配置替え、転任等の処分を行なわざるをえなくなるから、収拾のつかない混乱を招くことになる。これらを避けるためには、第二、第三の転任ののちは、第一の転任が取り消されても、右転任前の地位を回復することはないと解すべきである。してみると、第二の転任後は、第一の転任処分を取り消す利益は存在しないというべきである。

4 そうすると、控訴人らはいずれも第二の転任処分あるいは配置替えが行われたことにより、本件係争の各転任処分が取消されても、川内市立南中学校の教諭または事務職員の身分を回復するものでないと解されるから、控訴人ら全員についていずれも訴えの利益がないことになる。

二  当審における控訴人らの主張に対する認否

1 当審における控訴人らの主張はいずれも争う。

2 控訴人らは、本件転任処分の理由となった事由は多岐にわたるとし、これを四つに分類してそれぞれ本件転任処分の理由となし得ないものである旨主張するが、被控訴人が本件転任処分をなした理由は、川内南中においては、鹿教組川薩支部南中分会所属の組合員の組合活動が異常に激しく、組合活動は不断の職場闘争となって現れ、例えば、職員会議はしばしば校長に対する抗議、追求、いやがらせの場と化し、校長及び教頭と分会員である教職員との対立、相互不信はもはや抜き差しならぬものとなり、学校の正常な管理運営は不可能な状況に立ち至ったことにある。そして、右のような状況に立ち至ったのは本件転任処分時に突如としてそうなったのではなく、過去の長期間にわたる紛争の繰り返しを経てそのような状況になったのであるから、個々の紛争の時期が古いから転任の理由になし得ないとか、その紛争は解決ずみであるから転任の理由とすることはできないという控訴人らの主張は、的を得ていないといわざるを得ない。

3 さらに控訴人らは、転任処分の裁量権の限界について種々主張するが、本件においては、前記のとおり、川内南中における正常な学校管理運営が不可能となり、教育活動が過度に阻害される状況が出現したため、これを回復するため本件転任処分を行ったものであり、転任処分の裁量権の限界について抽象的にその基準を論ずることはあまり意味がないものである。

第三証拠(略)

理由

一  被控訴人は、控訴人ら全員が本件訴訟につき訴えの利益を有しない旨主張するので、まずこの点につき判断する。

1  被控訴人は、本件転任処分は控訴人らの身分、俸給等に異動を生ぜしめるものではなく、客観的、また実際的見地からみても、控訴人らの勤務場所、勤務内容等においてなんらの不利益を伴うものでなく、したがって、控訴人らが本件転任処分の取消を求める利益がない、また控訴人荒武の第二の転任処分は、本人の希望によるものであるから、同控訴人は、本件転任処分の取消により川内南中の教諭たる地位を回復するものではない旨主張する。

なるほど被控訴人主張のとおり、地教行法四二条が県費負担教職員の給与等の勤務条件が都道府県の条例で定めるものとされている結果、教職員は、他の市町村への転任処分を受けた場合でも、給与、勤務時間等の勤務条件については原則として不利益を受けることはないものの、新任の学校の営造物としての規模、右学校に対する社会的評価の程度等のいかんによっては、不利益な行政処分であるといえるばかりか、他の市町村への転任の結果、教職員は、転任先の新市町村教育委員会の服務の監督を受け、勤務成績の評定を受ける地位に立つことになるのであるから、新任の学校での服務の監督や勤務成績の評定の内容程度等のいかんによっても、不利益な行政処分となり得るといえるから、同条があるからといって、転任処分が一般に教職員にとって不利益な行政処分ではないとすることはできない。また控訴人荒武が第二の転勤を希望したことを認めるに足りる証拠はない。してみると被控訴人の前示主張は理由がなく、被控訴人の引用する最高裁判所判例は、本件事例に適切ではないというべきである。

2  控訴人らが被控訴人主張のとおり、新たに他の学校に転任あるいは配置替えとなっている事実は当事者間に争いがないところ、被控訴人は、右事実を根拠として、諸々の理由を挙げて本件訴えは訴えの利益がなくなった旨主張するので、順次検討する。

被控訴人は、転任は新しい職に任用することを目的とする行為であって、転任により当然に従前の地位が失われるから、第一の転任後に第二の転任が行なわれると、第一の転任による地位は消滅し、右地位を取消判決により消滅させる必要はなくなる旨主張するが、第一の転任が地方公務員法五六条に反する場合には、右転任が取り消され元の職に戻ることによって回復される地方公務員の法律上の利益は、第二の転任によっても消滅しないと解される余地があるから、控訴人らが本件転任処分の同条に違反することを主張している本件においては、被控訴人の右主張は採用できない。

また被控訴人は、第一の転任後第二、第三の転任が行なわれた後に第一の転任が取り消されると、同一の教職員が複数の市町村の教職員たる地位を併有するなど不合理な結果を招来し、収拾の付かない混乱を招くことを理由に、第二、第三の転任後は、第一の転任が取り消されても右転任前の地位を回復することはないと解すべきである旨主張するが、同一人が複数の市町村の教職員たる地位を併有することが不合理であるとしても、違法な行政処分により侵害された国民の権利を救済するためには、そのような地位の併有や混乱の発生もやむを得ないものといわなければならないし、事情判決制度も存在するのであるから、右主張も採用することができない。

3  したがって被控訴人の前示各主張はいずれも採用できず、本件訴訟については控訴人らの訴えの利益を否定できないものといわなければならない。

二  当裁判所は、控訴人らが当審で主張するところを検討し、原審及び当審で提出された全証拠を総合しても、本件転任処分には、控訴人ら主張のような法令違反及び裁量権の濫用はなく、なんらこれを取り消すべき事由は存しないものと判断するが、その理由は以下のとおり付加訂正するほかは原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。

1  原判決一〇五枚目裏五行目「同証人ら」の次に「及び当審証人長嶺虎千代」と挿入し、同一〇六枚目裏五行目「立ち上がったこと」から同八行目「制止したこと」までを「立ち上がって校長に抗議すべく詰め寄ろうとし、その際校長に対する反感から感情が激化するあまり、校長に向かって、とっさに椅子を両手で肩の高さ位まで持ち上げる示威動作をしたこと、これをみた分会員の田尻教諭らは直ちに控訴人吉満を制止し、同控訴人も制止を振り切ってそれ以上の行為に及ぶことはなかったこと」と、同一〇行目「危険を感じ」とあるを「同控訴人が自己に対し椅子で暴行を加える行為に及ぶものと受け止めて危険を感じ」と、同一四行目「他の分会員らは」とあるを「他の分会員らは、控訴人吉満の突発的な行き過ぎた行動から事態が急変し、校長の激しい怒りを知り」と、同一〇七枚目表一二行目から同裏八行目までを「なお、右の控訴人吉満の行為につき、被控訴人は、同控訴人が椅子を振り上げた旨主張し、原審証人島元佐明の証言及び丙第一〇号証にはこれに沿う供述、記載がある。しかしながら右各証拠中、控訴人吉満が右認定の限度を越えて、島元校長に対し、被控訴人の右主張のような行為にでた旨の部分は、これを裏付けるに足る的確な証拠はないなどの点からたやすく措信できない。」と、それぞれ改める。

2  同一一一枚目表六行目から同一一二枚目表四行までを次のとおり改める。

「5 本件転任処分及びその手続的経緯

(一)  前認定の事実、当審証人下川正男の証言、及び、弁論の全趣旨によると、被控訴人は、川内南中の混乱状況について同校長や長野教頭から報告を受け、また、一部事情聴取をする等して右3認定の各事実を確認し、それらが組合活動及び交渉活動の程度を越えた逸脱行為であり、これが原因となって生じた校長及び教頭と分会員である教職員との対立、相互不信は抜き差しならぬものとなり学校の正常な管理運営は不可能な状態にあるものと判断したが、すでに一中学校における校長と教職員の対立という程度を越え、父兄ら地域住民と分会との対立にまで発展し、マスコミにも大きく報道され、県議会及び市議会でも取り上げられるなどして社会問題化し、登校拒否も辞さないという強硬な父兄もあり、正常な学校の管理運営はもとより、生徒をも巻き込み、公教育を阻害する深刻な状況に立ち至っているもので、右事態の正常化を図り公教育に対する信頼を回復するためには、混乱の原因を惹起した双方当事者の大幅な人事の刷新を行う以外にはないものと判断して、定期異動の時期をとらえて校長教頭らとともに控訴人らに対し本件転任処分をなしたことが認められる。」

3  同一一二枚目表五行目冒頭の「6」を「(二)」と、同裏七行目「それにも拘らず」から同八行目を「しかしながら、同時期に転任した他の者と比べ、控訴人らが、同一校勤務年数の点を除き不当に不利益な転任地を決定されたとの事情はこれを認めるに足りる証拠はない。」と、改める。

4  同一一四枚目表九行目から同一二行目「いないのは、」までを次のとおり改める。

「(一) 前記二2ないし4認定の事実によれば、川内南中における分会と校長の対立は既に内田校長時代に始まっていたと推認されるが、島元校長着任後控訴人ら分会員が同校長に対し交渉を求めた事項は、職員会議の性格(職員会議を事実上最高決議機関とする旨の要求)、主任制問題、管理職任用試験制度問題、一六ミリ映写機紛失問題等、一中学校の校長として解決を図るべき処分権限の範囲を越える問題など、地公法上の適法な交渉事項に含まれるとは思われないものが多数含まれ、それにもかかわらず、控訴人らは、教育現場における教師の意見を伝達あるいは上申してほしいことを求める目的態様のものとしてではなく、あくまで校長交渉と称し、予備交渉を求める校長の意思を無視して事実上応じざるを得ない状況のもとにこれを強要したこと、また、交渉以外の組合活動も不断の職場闘争となってあらわれたのみならず、嫌がらせとしか考えられない行為(三角錐闘争など)に出たり、職員会議の席上でも公然と校長に対する罵りの発言がなされていること、このため校長としては、これら執拗に繰り返される交渉、職場闘争の対応に追われ、落ち着いて学校経営に取り組む余裕がない状態であったこと、しかも分会員らはその要求を通すために事ある毎に校務分掌拒否を言明し、実際に一部を拒否しあるいは職員朝会をボイコットして校長に圧力を加えたりしていたこと、さらに交渉の態様においても、分会員らの意見に同調しない校長に対し、中学校の教職員としてはもとより一般人としても非常識といわざるを得ない悪口雑言、はては暴行、脅迫行為に及んだものであり、かかる行為が違法不当なものであり、また、いかに交渉当事者間の対立状況を考慮しても到底容認されない逸脱行為であることは明らかというべきである。そしてその結果、校長教頭と分会員である教職員との間の信頼関係はまったく失われ、校長として学校経営に対する自信を喪失させたのみならず、分会と地域住民との対立という事態に発展し、社会問題と化していたものである。

したがって、被控訴人においてかかる状況を認識し、校長と分会との対立紛争を解決して学校教育の正常化を図り、併せて川内南中事件として社会問題化した混乱を収拾して公教育の信頼を回復するためには、校長を含む教職員の人事構成を大幅に刷新する以外に適切な方法がないと判断してなした本件転任処分には、その必要性、合理性を十分肯認することができ、教育基本法六条二項、一〇条二項等の規定による教育公務員についての強い身分保障に鑑みても、本件転任処分が裁量権の範囲を逸脱したもので、その濫用にあたるとは到底認めることができない。

控訴人らは、本件のいわゆる川内南中事件の原因として被控訴人が取り上げた各事実に関し、これを四つに分類し、結局いずれも本件転任処分の理由となし得ないものであり、いわゆる川内南中事件なるものは当時の国分教育長が教育振興会と称する地域ボスと結託して捏造した事件であり、校長に対する暴言暴行に類する行為はなく、正当な組合活動であるか、または、組合活動とは関係のない個人的発言であった旨主張するが、前認定の事実に照らし、控訴人らの主張は前提をまったく異にするものであって控訴人らの行動が職員団体の正当な活動といえる範囲を越えていることは先に認定、判断したとおりであるから、到底採用の限りでない。なお控訴人らは、本件交渉の大部分が鹿教組の指示による組合活動である旨主張するが、それによって前認定の控訴人らの行為が正当化されるものでないことは明らかである。

また控訴人らは、転任処分は個々人を対象としてなされるのであるから、その処分の合理的理由もそれぞれ個別に検討されるべきで、これを一括して同一に扱うことは許されない旨主張する。

しかしながら被控訴人は、前記認定の個々の事実をとらえて、これを本件転任処分の理由としているものではなく、分会の活動としてなされたこれらの行為が積み重ねられることにより、校長教頭らと分会員である教職員との間に抜き差しならぬ対立が生じ、正常な教育活動を阻害する事態に至り、果ては分会と地域住民との対立にまで発展し社会問題と化してしまったことにあるのであり、分会員が多数を占める川内南中においてその教職員の構成を大幅に変更するためには必然的に分会員の多数が転任の対象となることもやむを得ないものであって、しかも控訴人らについては、同時期に転任した他の者と比べ、同一校勤務年数の点を除き転任先等その他の条件において不利益な取扱がなされているものとは認められないから、この点においてもなんら裁量権の範囲を越えたものということはできない。

(二) 被控訴人は、本件転任処分につき控訴人らの承諾を得ておらず、またそのための話合いもなされていないことは、被控訴人の主張自体から明らかであるが、本来、控訴人らに対する転任処分にその同意は要件とされていないものの、承諾を得る手続がなされなかったのは、」

三  よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野田殷稔 裁判官 澤田英雄 裁判官 郷俊介)

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